宮塚生態観察所
徒然なるままに書き綴る宮塚の日常生活暴露記。
こんな日もある・・・さ。
- 2008/04/01 (Tue)
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宮塚、不良デビュー☆★☆
というのはまぁ冗談ですが、あながち冗談でもなく。
あ、嘘ではありませんよ!
で、何が不良デビューかというと、お昼で勝手に帰ったのです。
本当はインターバルでもう帰ってやる!だったのですが、頑張ったんですよ、これでも。
宮塚は限界を感じた・・・ぜ・・・。
では詳細をお話ししましょう。
ブラックな話なので、読みたくない方はここでウィンドウを閉じてください。
自分の意見ばかり書きますが、日頃思っていたことなので隠しません。
以下は任意でどうぞ。
毎日のようにうるさいジャパニーズの時間。
勿論うるさいのは日本人です。
彼ら(彼女ら)にとって、この時間は自由時間か何かなんでしょうね。
授業を受ける姿勢は全くなく、毎時間好き勝手やってます。
授業を聞かないだけ、とか内職してる、ならまだしも、大声で喋る、授業を遮る、と、周りに迷惑がかかるような態度なのです。
でも本人達は迷惑かけてるなんてみじんも思ってないんでしょうが。
先生に注意されたら汚い言葉で返す、罵る、からかって遊ぶ。
私に言わせれば最低の行為です。何のために留学してるの?
で、本日ジャパの先生がお休みで、他の先生が代理で来られての自主学習でした。
とはいっても課題は出ていて、時間内でこれをやりなさい、といった感じ。
もちろん日本人の集団はやる気などみじんもありません。
これ幸いと、集まって騒ぐ、食べる、の馬鹿騒ぎ。
先生が注意したり、課題をやるように促せばすぐ「死ね」と先生向かって発するのです。
先生が日本語分からないから、調子に乗ってどんどんエスカレートする言葉。
私は、だれが、なんと言おうと、人に向かって「死ね」という言葉を発することは認めません。許せません。
「死ぬ」という言葉の意味を、重みを知っていたら、そんな言葉を人に向けられるはずがないんです。
”軽い気持ちで言った””相手は意味を理解してないから別に傷つけてないし、かまわない”
そんなのは理由じゃない。そんなの通用しない。
宮塚は去年祖母を亡くしました。祖父と伯父の死も経験しています。
人が死ぬということが、どんなことか。
知らないなら口にしてはいけない。知っていたら口にできるはずがない。
とても・・・とても辛かった。
平然とそんな言葉を人に向けれる日本人が恥ずかしかった。情けなかった。
そんな50分の授業は、私を壊すのに充分でした。
他人事。
そう言ってしまうこともできるけど、どうしても許せなかったんです。
でも、これからの環境を思うと露骨に口を出すこともできず、自分も情けなかった。
私は今回の留学に再起をかけています。もう失敗できない。
だけどだからって、こんなのが続いて良いわけがない。
別に騒いでる人たちが社会に出て恥をかくのはどうだって良い。自業自得に他ならないのだから。
でも、今の時点で迷惑を振りまくのはやめてほしい。
遊びに来てるなら帰れ、と言いたいほどでした。勿論そんな事を言う権利は私にはないのだけれど。
どうしてニュージーランドに来てまで日本人に頭を悩ませられなければならないんでしょう。
地獄のような50分の授業が終わり、私はもう限界でした。
もう嫌だ。これ以上この学校で、この日本人と共には生活できない。
そう思ってオフィスに駆け込み、インターナショナルの先生にまくしたてました。
今日はもう私はだめだ。帰らせて。もう限界、我慢できない、と。
私のあまりの剣幕にびっくりした先生ですが、今日は学校が終わるの早いし、ジャパの先生には言っておくから残り3時間授業頑張ってとなだめすかす。
自分が、弱いことは分かっています。
もっと強くならなきゃいけない、寛大にならなきゃいけない。
憤りを感じても、それで精神的に崩されてばかりいては、生活に支障をきたしていては、生きていけないんですよね。
分かっているんです。
でも、まだ今の私には無理でした。
感情と身体がまだ直結しているんです。爆発することを耐えても、その分精神的にもたなくなって、結果的に何も手につかない、何も出来なくなってしまう。
オフィスで文句をぶちまけたといっても、所詮英語。
全てを思うように話せたわけでもなく、でもこの憤りとかその他いろんなものを消化できず、もうパニックでした。
今日はもう何も出来ない、考えられない。一度学校を出てこのことから離れよう。
そう思ったのですが、迷惑な他人のせいで自分を貶めることはない、と必死で言い聞かせ、インターバルの後の授業も受けることにしました。
これでも、理性と忍耐をつなぎ合わせてたんです。
で、なんとか午前の授業も終わり、お昼を食べながら、あと一科目、あと一科目だから頑張ろう、そうしたら学校から離れられる。と必死に考えていました。
が、その瞬間。
どこのどいつかは知りません。
日本人の一人が、私の後頭部を叩いて行ったのです。
軽いお遊び。私が振り返って「ちょっと、今の誰ー!?」と怒るふりをするのを待ってる。
でも、そのとき私の許容量は超えました。
読んでいた本を叩きつけ、荷物を乱暴に背負い「帰る」と一言言って教室を出ました。
そしてそのまま学校の敷地を出、バス停まで一路黙々と歩き、ガーディアンさんの待つオフィスまで行ったのです。
何も考えられなかった。考えたくもなかった。
馬鹿な事をしました。知っています。
正当な行為ではないし、一時の激情に流された、愚かな行為だったと恥じています。
でも、その場から出るしか、私にはできませんでした。
限界を感じました。
自分で変わろうと思っても、なかなか思うようにはいかない。
自分でさえそうなのだから、他人によって人を変えることは本当に難しいことなんだと思います。
だから、きっとあの人たちもこの先変わることは期待できないのでしょう。
人が変わらないならば、自分を変えていかなきゃならない。
今日は幼稚に逃げ出した私ですが、明日から少しずつでも、忍耐と気にしないこと、許すことを養っていこうと思います。
わがままな事を書きました。エゴで偉そうなことを書きました。
でも、私の率直な気持ちです。
間違いはお互い持っているし、どちらが正当なんて判断は出来ない。
まだまだです。
私も、これから成長しなければなりません。
この地で。この学校で。この人たちと。
またいずれ今日のように逃げ出したくなる日が来るかもしれません。
その時に、もう少しでも向き合えるように、今日のことは心に留めておきたいと思います。
お目汚しになりました。お付き合いいただいた方、御拝読ありがとうございます。
今日はこんな腐った記事ですが、これにて。
明日はもうちょっと明るい記事を書けたら良いな。
というのはまぁ冗談ですが、あながち冗談でもなく。
あ、嘘ではありませんよ!
で、何が不良デビューかというと、お昼で勝手に帰ったのです。
本当はインターバルでもう帰ってやる!だったのですが、頑張ったんですよ、これでも。
宮塚は限界を感じた・・・ぜ・・・。
では詳細をお話ししましょう。
ブラックな話なので、読みたくない方はここでウィンドウを閉じてください。
自分の意見ばかり書きますが、日頃思っていたことなので隠しません。
以下は任意でどうぞ。
毎日のようにうるさいジャパニーズの時間。
勿論うるさいのは日本人です。
彼ら(彼女ら)にとって、この時間は自由時間か何かなんでしょうね。
授業を受ける姿勢は全くなく、毎時間好き勝手やってます。
授業を聞かないだけ、とか内職してる、ならまだしも、大声で喋る、授業を遮る、と、周りに迷惑がかかるような態度なのです。
でも本人達は迷惑かけてるなんてみじんも思ってないんでしょうが。
先生に注意されたら汚い言葉で返す、罵る、からかって遊ぶ。
私に言わせれば最低の行為です。何のために留学してるの?
で、本日ジャパの先生がお休みで、他の先生が代理で来られての自主学習でした。
とはいっても課題は出ていて、時間内でこれをやりなさい、といった感じ。
もちろん日本人の集団はやる気などみじんもありません。
これ幸いと、集まって騒ぐ、食べる、の馬鹿騒ぎ。
先生が注意したり、課題をやるように促せばすぐ「死ね」と先生向かって発するのです。
先生が日本語分からないから、調子に乗ってどんどんエスカレートする言葉。
私は、だれが、なんと言おうと、人に向かって「死ね」という言葉を発することは認めません。許せません。
「死ぬ」という言葉の意味を、重みを知っていたら、そんな言葉を人に向けられるはずがないんです。
”軽い気持ちで言った””相手は意味を理解してないから別に傷つけてないし、かまわない”
そんなのは理由じゃない。そんなの通用しない。
宮塚は去年祖母を亡くしました。祖父と伯父の死も経験しています。
人が死ぬということが、どんなことか。
知らないなら口にしてはいけない。知っていたら口にできるはずがない。
とても・・・とても辛かった。
平然とそんな言葉を人に向けれる日本人が恥ずかしかった。情けなかった。
そんな50分の授業は、私を壊すのに充分でした。
他人事。
そう言ってしまうこともできるけど、どうしても許せなかったんです。
でも、これからの環境を思うと露骨に口を出すこともできず、自分も情けなかった。
私は今回の留学に再起をかけています。もう失敗できない。
だけどだからって、こんなのが続いて良いわけがない。
別に騒いでる人たちが社会に出て恥をかくのはどうだって良い。自業自得に他ならないのだから。
でも、今の時点で迷惑を振りまくのはやめてほしい。
遊びに来てるなら帰れ、と言いたいほどでした。勿論そんな事を言う権利は私にはないのだけれど。
どうしてニュージーランドに来てまで日本人に頭を悩ませられなければならないんでしょう。
地獄のような50分の授業が終わり、私はもう限界でした。
もう嫌だ。これ以上この学校で、この日本人と共には生活できない。
そう思ってオフィスに駆け込み、インターナショナルの先生にまくしたてました。
今日はもう私はだめだ。帰らせて。もう限界、我慢できない、と。
私のあまりの剣幕にびっくりした先生ですが、今日は学校が終わるの早いし、ジャパの先生には言っておくから残り3時間授業頑張ってとなだめすかす。
自分が、弱いことは分かっています。
もっと強くならなきゃいけない、寛大にならなきゃいけない。
憤りを感じても、それで精神的に崩されてばかりいては、生活に支障をきたしていては、生きていけないんですよね。
分かっているんです。
でも、まだ今の私には無理でした。
感情と身体がまだ直結しているんです。爆発することを耐えても、その分精神的にもたなくなって、結果的に何も手につかない、何も出来なくなってしまう。
オフィスで文句をぶちまけたといっても、所詮英語。
全てを思うように話せたわけでもなく、でもこの憤りとかその他いろんなものを消化できず、もうパニックでした。
今日はもう何も出来ない、考えられない。一度学校を出てこのことから離れよう。
そう思ったのですが、迷惑な他人のせいで自分を貶めることはない、と必死で言い聞かせ、インターバルの後の授業も受けることにしました。
これでも、理性と忍耐をつなぎ合わせてたんです。
で、なんとか午前の授業も終わり、お昼を食べながら、あと一科目、あと一科目だから頑張ろう、そうしたら学校から離れられる。と必死に考えていました。
が、その瞬間。
どこのどいつかは知りません。
日本人の一人が、私の後頭部を叩いて行ったのです。
軽いお遊び。私が振り返って「ちょっと、今の誰ー!?」と怒るふりをするのを待ってる。
でも、そのとき私の許容量は超えました。
読んでいた本を叩きつけ、荷物を乱暴に背負い「帰る」と一言言って教室を出ました。
そしてそのまま学校の敷地を出、バス停まで一路黙々と歩き、ガーディアンさんの待つオフィスまで行ったのです。
何も考えられなかった。考えたくもなかった。
馬鹿な事をしました。知っています。
正当な行為ではないし、一時の激情に流された、愚かな行為だったと恥じています。
でも、その場から出るしか、私にはできませんでした。
限界を感じました。
自分で変わろうと思っても、なかなか思うようにはいかない。
自分でさえそうなのだから、他人によって人を変えることは本当に難しいことなんだと思います。
だから、きっとあの人たちもこの先変わることは期待できないのでしょう。
人が変わらないならば、自分を変えていかなきゃならない。
今日は幼稚に逃げ出した私ですが、明日から少しずつでも、忍耐と気にしないこと、許すことを養っていこうと思います。
わがままな事を書きました。エゴで偉そうなことを書きました。
でも、私の率直な気持ちです。
間違いはお互い持っているし、どちらが正当なんて判断は出来ない。
まだまだです。
私も、これから成長しなければなりません。
この地で。この学校で。この人たちと。
またいずれ今日のように逃げ出したくなる日が来るかもしれません。
その時に、もう少しでも向き合えるように、今日のことは心に留めておきたいと思います。
お目汚しになりました。お付き合いいただいた方、御拝読ありがとうございます。
今日はこんな腐った記事ですが、これにて。
明日はもうちょっと明るい記事を書けたら良いな。
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プロフィール
HN:
宮塚 鏡
性別:
女性
職業:
OL
自己紹介:
へっぴり腰な、社会人3年生。
名古屋在住、岐阜勤務の環境で、ひっそり小説書いてます。
標準語は広島弁。好物はお好み焼き。
大学時代は水泳やってました。
好きなイラストレーターさんは、あきさん。
名古屋在住、岐阜勤務の環境で、ひっそり小説書いてます。
標準語は広島弁。好物はお好み焼き。
大学時代は水泳やってました。
好きなイラストレーターさんは、あきさん。
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