宮塚生態観察所
徒然なるままに書き綴る宮塚の日常生活暴露記。
大好きなおじいちゃん
- 2008/12/21 (Sun)
- 日記 |
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十二月十六日深夜、祖父が亡くなりました。大好きな大好きな祖父でした。
私がニュージーランドから戻った時、母に祖父が6月に倒れたことを聞きました。脳梗塞だったそうです。
搬送先の病院で3日が峠と言われ、私の帰国を待たずして旅立ってしまうことを覚悟したそうです。
でもその後持ち直して、寝たきりながらもずっと頑張って生きてくれていました。
日本に戻ってきた次の日に病院に会いにいったら、もう殆ど認識が出来ない中で、顔をくしゃっとしてくれました。
泣いているようにも見えたし、笑ってくれたようにも見えました。
そしてそれから2週間後、誰にも見取られず、祖父はひっそりと旅立ちました。
親戚の誰もが、祖父は私が帰るのを待って亡くなったのだといいます。待っててくれたんだね、と。
そうなのかもしれません。
1年のうち殆ど日本にいない私は、生きている祖父に会い、そして葬儀に出席出来ること自体、奇跡のようなものでした。
唯一祖父の誤算は、お葬式の日に、試験のため兄が名古屋から帰ってこれないことでした。
兄自身はお盆休みに帰ってきて、病院で祖父に年末にまた会おうね、と言っていたそうなのですが、叶いませんでした。
母方の祖父なのですが、孫は末っ子の私を入れて4人。みんなとても可愛がってもらいました。
私が今年の始めにニュージーランドに発つ時も、駅の新幹線口まで見送りに来てくれました。
泣きながら震える手でチョロキューを渡してくれたのを覚えています。
祖父が6月に倒れたことも何も知らなかったけど、ずっとそのチョロキューは鏡の前に置いて、朝の身支度の時には目に入っていました。
形見になっちゃったね、と母は苦笑しました。
私が週に1回家に向けて送る報告メールを、何よりも楽しみにしていてくれたそうです。
小さい頃から祖父には色んなところに連れて行ってもらいました。
京都、岡山、山口、福岡。みんなでたくさん旅行に行きました。
幼い頃は、休みになれば祖父母の家にいとこ4人で泊まりに行ったり、ご飯を食べに行ったりしました。
孫の入学式や卒業式、その他のイベントにもほぼ欠かさず出席してくれました。
本当に本当に可愛がってもらったのです。
私も、兄も、いとこも、祖父が大好きでした。
日付変更間近になって、病院から電話がかかってきた、と祖母から連絡を受けたのは私でした。
家から1分ほどの個人病院に入院していたのですが、駆けつけたときにはもう祖父は息を引き取っていました。
初めて触ったおじいちゃんの額は冷たくて、涙が出ました。
何も知らず、羊柄のセーターをお土産に買って帰ったのに、着てもらえませんでした。
やせてしまって、祖父がとても小さく見えました。
だけど眠るように安らかな顔で、それだけに安心しました。
倒れた直後、一週間ももたないだろうと言われたにも拘らず、半年間も祖父は頑張ってくれました。
動くことも叶わず、喋ることも叶わず、祖父にとってはどんなに辛い半年間だったか、推し量ることが出来ません。
潮時だったのかな、と叔母は言いました。
もう、これ以上生きてくれと言う方がこちらの我侭だったのかもしれません。
楽に、なれたのかな。
最近は容態もずっと安定していたので、家族もみんな年越しは固いと踏んでいたようです。
私も母も、前日に年賀状のデザインを作ったばかりでした。
亡くなった日も、夕方に祖母と叔母が病院に様子を見に行っていたのですが、呼吸も正常で熱もなく、穏やかだったと聞きました。
何を思って突然深夜に旅立つことに決めたのか、分かりません。
祖父はお母さん、私にとっての曾祖母が大好きだったと聞いていたので、そのお母さんが迎えに来られたのかもしれません。
81歳だったので、もう大事な人の殆どが亡くなられていたそうなので、大勢で迎えに来てもらったのかもしれません。
向こうで楽しくやってるといいな、と今はただそれを願うばかりです。
今はまだお墓やお仏壇と奔走している最中です。
実は昨日の夜中金縛りにあい、祖父が会いに来てくれたのかな、とも思いました。
祖父母の家に行くと、祖父の気配を感じるのです。
叔母も祖母も家に祖父がいる感じがそこかしこにする、と言っているので、どうやら家にいるようです。
病院に運ばれてから、ずっと家に帰りたかったのだと思います。
何だかそろそろ1週間経つ今でも実感がわかないのですが、今度は祖母が疲労などで倒れないよう、私が日本にいる間だけでも祖父母の家に通います。母もいてくれるし。
どうか、亡くなった祖父がやすらかでいられますように。
大好きな大好きな、おじいちゃん。
また、会える日まで。
私がニュージーランドから戻った時、母に祖父が6月に倒れたことを聞きました。脳梗塞だったそうです。
搬送先の病院で3日が峠と言われ、私の帰国を待たずして旅立ってしまうことを覚悟したそうです。
でもその後持ち直して、寝たきりながらもずっと頑張って生きてくれていました。
日本に戻ってきた次の日に病院に会いにいったら、もう殆ど認識が出来ない中で、顔をくしゃっとしてくれました。
泣いているようにも見えたし、笑ってくれたようにも見えました。
そしてそれから2週間後、誰にも見取られず、祖父はひっそりと旅立ちました。
親戚の誰もが、祖父は私が帰るのを待って亡くなったのだといいます。待っててくれたんだね、と。
そうなのかもしれません。
1年のうち殆ど日本にいない私は、生きている祖父に会い、そして葬儀に出席出来ること自体、奇跡のようなものでした。
唯一祖父の誤算は、お葬式の日に、試験のため兄が名古屋から帰ってこれないことでした。
兄自身はお盆休みに帰ってきて、病院で祖父に年末にまた会おうね、と言っていたそうなのですが、叶いませんでした。
母方の祖父なのですが、孫は末っ子の私を入れて4人。みんなとても可愛がってもらいました。
私が今年の始めにニュージーランドに発つ時も、駅の新幹線口まで見送りに来てくれました。
泣きながら震える手でチョロキューを渡してくれたのを覚えています。
祖父が6月に倒れたことも何も知らなかったけど、ずっとそのチョロキューは鏡の前に置いて、朝の身支度の時には目に入っていました。
形見になっちゃったね、と母は苦笑しました。
私が週に1回家に向けて送る報告メールを、何よりも楽しみにしていてくれたそうです。
小さい頃から祖父には色んなところに連れて行ってもらいました。
京都、岡山、山口、福岡。みんなでたくさん旅行に行きました。
幼い頃は、休みになれば祖父母の家にいとこ4人で泊まりに行ったり、ご飯を食べに行ったりしました。
孫の入学式や卒業式、その他のイベントにもほぼ欠かさず出席してくれました。
本当に本当に可愛がってもらったのです。
私も、兄も、いとこも、祖父が大好きでした。
日付変更間近になって、病院から電話がかかってきた、と祖母から連絡を受けたのは私でした。
家から1分ほどの個人病院に入院していたのですが、駆けつけたときにはもう祖父は息を引き取っていました。
初めて触ったおじいちゃんの額は冷たくて、涙が出ました。
何も知らず、羊柄のセーターをお土産に買って帰ったのに、着てもらえませんでした。
やせてしまって、祖父がとても小さく見えました。
だけど眠るように安らかな顔で、それだけに安心しました。
倒れた直後、一週間ももたないだろうと言われたにも拘らず、半年間も祖父は頑張ってくれました。
動くことも叶わず、喋ることも叶わず、祖父にとってはどんなに辛い半年間だったか、推し量ることが出来ません。
潮時だったのかな、と叔母は言いました。
もう、これ以上生きてくれと言う方がこちらの我侭だったのかもしれません。
楽に、なれたのかな。
最近は容態もずっと安定していたので、家族もみんな年越しは固いと踏んでいたようです。
私も母も、前日に年賀状のデザインを作ったばかりでした。
亡くなった日も、夕方に祖母と叔母が病院に様子を見に行っていたのですが、呼吸も正常で熱もなく、穏やかだったと聞きました。
何を思って突然深夜に旅立つことに決めたのか、分かりません。
祖父はお母さん、私にとっての曾祖母が大好きだったと聞いていたので、そのお母さんが迎えに来られたのかもしれません。
81歳だったので、もう大事な人の殆どが亡くなられていたそうなので、大勢で迎えに来てもらったのかもしれません。
向こうで楽しくやってるといいな、と今はただそれを願うばかりです。
今はまだお墓やお仏壇と奔走している最中です。
実は昨日の夜中金縛りにあい、祖父が会いに来てくれたのかな、とも思いました。
祖父母の家に行くと、祖父の気配を感じるのです。
叔母も祖母も家に祖父がいる感じがそこかしこにする、と言っているので、どうやら家にいるようです。
病院に運ばれてから、ずっと家に帰りたかったのだと思います。
何だかそろそろ1週間経つ今でも実感がわかないのですが、今度は祖母が疲労などで倒れないよう、私が日本にいる間だけでも祖父母の家に通います。母もいてくれるし。
どうか、亡くなった祖父がやすらかでいられますように。
大好きな大好きな、おじいちゃん。
また、会える日まで。
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プロフィール
HN:
宮塚 鏡
性別:
女性
職業:
OL
自己紹介:
へっぴり腰な、社会人3年生。
名古屋在住、岐阜勤務の環境で、ひっそり小説書いてます。
標準語は広島弁。好物はお好み焼き。
大学時代は水泳やってました。
好きなイラストレーターさんは、あきさん。
名古屋在住、岐阜勤務の環境で、ひっそり小説書いてます。
標準語は広島弁。好物はお好み焼き。
大学時代は水泳やってました。
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