宮塚生態観察所
徒然なるままに書き綴る宮塚の日常生活暴露記。
Nothing Special
- 2009/03/05 (Thu)
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題名の通り、変わりばえのない日々です。
朝からアリプロばっかり聴いてます、宮塚です。黒アリと白アリを交互に聴いてたら変な感覚になってきた。
昨日からまたホストファザーが消えました。出張行くなら行くって言ってよねー。
最近考える事がいっぱいありすぎて、考えることを放棄したい気持ちに襲われます。
難しいこと、カンガエタクナイネー。
3月1日に友達が卒業し、しおりちゃんをはじめ仲が良くてメアド知ってる友達にそれぞれメールを送ったのですが、返ってくる一通一通に色んなことを考えさせられました。
AOや私立大学で既にこれからの進路が決まってる子も結構いて、そういう子の話を聞いてると微妙に焦るお年頃(苦笑)
私は私の道を歩いてるし、自分のペースでとは思ってるのですが、周囲の雰囲気に押されてしまう(苦笑)
勿論今結果待ちの子もたくさんです。お兄ちゃんの受験を思い出す。。。
どうか良い結果が待っていますように。
さて、学校の方ですが今週いっぱいかけてツアリズムのアセスメントやってます。明日が最終期限です。
ページ数がかなりあって正直げんなりしているのですが、大方終わりました。後は微妙に残ってる空白を埋めるくらいかな。
去年強面先生にこれでもかっていうくらいしごかれましたからね!死に物狂いでくらいついてってやりますよ。
そんでもって昨日はマスの小テストでした。
うっかり前日微鬱だったため勉強も殆ど出来ないままテストを受けたのですが、幸いな事にそこまで難しい内容ではなったのでなんとかなりました。
多分明日帰ってくるかな。もしくは来週か。
ESOLも第3の課題のDVDを見終わったので、明日から感想文に取り掛かります。今週末で一気に書き上げるぞー!
そんな感じで、変わらない毎日です。
最近本当に女の子はお金がかかるなぁとぼんやり思いました。
ホストマザーの買い物に付き合ってると、やはり洋服などで“あ、これ可愛いな”と思うものがあるんですよね。だけど今使ってるお金は親が稼いでくれたお金だから自分勝手に使うわけにもいかず、我慢我慢。
それに7月のスクールパーティに向けて準備もあるし、ドレスや靴だけじゃなくて髪なんかにもお金かかるんですよ。
今年は一ヶ月のお小遣いから色々計算して、一週間に使っていいお金の上限を決めてるんです。なのでそれを自分で守りつつ、やりくりしてます。
とういうわけで、気にいったものがあるからとすぐには買わず、どこで節約するかじわじわ計算中。
自分の中でGOサインが出た時に、既にそれが売り切れてたら意味ないんですけど(苦笑)
服・靴・アクセサリー・髪はきっといつまでたっても女の子のお金の消費に大きく関わるんだろうなぁ。
ちなみに来週末はいよいよピアス開けに行くので、節約週間に入ります!
$2チャーハンか$3マックがお昼ごはんになる予感(笑)
さて、ちょっと色々自分の中の中高時代に対する想いを文字にしたのですが、きっとつまんないと思うので続きより。
興味のある方だけチラ見でどうぞ。
一応断っておきますが、中高一貫校に入学したにも拘らず、宮塚は高2の終わりに不登校により中退しています。
なのでほんと、興味がある方のみどうぞ。鬱なことは書いてませんけど、一応。
まぁ中退したのはニュージーへの留学が決まったからというのもあるのですが、そんなわけでまぁ心中は複雑・・・・・かも?
全てが気ままでのんびりなニュージーに感化されたおかげで、中高時代も大分穏やかに見直せるようにはなったんですけどね。
ちなみに留学したおかげで宮塚は高校生を4年やることになり、青春を同級生より1年分得(?)しました。
ということで、取り敢えずはここで一旦終わりにしときます。
蛇神さんで一本短い小説書こうと思ってるのですが、已然としてメモ帳ま真っ白のままです(笑)頑張るー。
ではでは本日はこれにて~。
朝からアリプロばっかり聴いてます、宮塚です。黒アリと白アリを交互に聴いてたら変な感覚になってきた。
昨日からまたホストファザーが消えました。出張行くなら行くって言ってよねー。
最近考える事がいっぱいありすぎて、考えることを放棄したい気持ちに襲われます。
難しいこと、カンガエタクナイネー。
3月1日に友達が卒業し、しおりちゃんをはじめ仲が良くてメアド知ってる友達にそれぞれメールを送ったのですが、返ってくる一通一通に色んなことを考えさせられました。
AOや私立大学で既にこれからの進路が決まってる子も結構いて、そういう子の話を聞いてると微妙に焦るお年頃(苦笑)
私は私の道を歩いてるし、自分のペースでとは思ってるのですが、周囲の雰囲気に押されてしまう(苦笑)
勿論今結果待ちの子もたくさんです。お兄ちゃんの受験を思い出す。。。
どうか良い結果が待っていますように。
さて、学校の方ですが今週いっぱいかけてツアリズムのアセスメントやってます。明日が最終期限です。
ページ数がかなりあって正直げんなりしているのですが、大方終わりました。後は微妙に残ってる空白を埋めるくらいかな。
去年強面先生にこれでもかっていうくらいしごかれましたからね!死に物狂いでくらいついてってやりますよ。
そんでもって昨日はマスの小テストでした。
うっかり前日微鬱だったため勉強も殆ど出来ないままテストを受けたのですが、幸いな事にそこまで難しい内容ではなったのでなんとかなりました。
多分明日帰ってくるかな。もしくは来週か。
ESOLも第3の課題のDVDを見終わったので、明日から感想文に取り掛かります。今週末で一気に書き上げるぞー!
そんな感じで、変わらない毎日です。
最近本当に女の子はお金がかかるなぁとぼんやり思いました。
ホストマザーの買い物に付き合ってると、やはり洋服などで“あ、これ可愛いな”と思うものがあるんですよね。だけど今使ってるお金は親が稼いでくれたお金だから自分勝手に使うわけにもいかず、我慢我慢。
それに7月のスクールパーティに向けて準備もあるし、ドレスや靴だけじゃなくて髪なんかにもお金かかるんですよ。
今年は一ヶ月のお小遣いから色々計算して、一週間に使っていいお金の上限を決めてるんです。なのでそれを自分で守りつつ、やりくりしてます。
とういうわけで、気にいったものがあるからとすぐには買わず、どこで節約するかじわじわ計算中。
自分の中でGOサインが出た時に、既にそれが売り切れてたら意味ないんですけど(苦笑)
服・靴・アクセサリー・髪はきっといつまでたっても女の子のお金の消費に大きく関わるんだろうなぁ。
ちなみに来週末はいよいよピアス開けに行くので、節約週間に入ります!
$2チャーハンか$3マックがお昼ごはんになる予感(笑)
さて、ちょっと色々自分の中の中高時代に対する想いを文字にしたのですが、きっとつまんないと思うので続きより。
興味のある方だけチラ見でどうぞ。
一応断っておきますが、中高一貫校に入学したにも拘らず、宮塚は高2の終わりに不登校により中退しています。
なのでほんと、興味がある方のみどうぞ。鬱なことは書いてませんけど、一応。
まぁ中退したのはニュージーへの留学が決まったからというのもあるのですが、そんなわけでまぁ心中は複雑・・・・・かも?
全てが気ままでのんびりなニュージーに感化されたおかげで、中高時代も大分穏やかに見直せるようにはなったんですけどね。
ちなみに留学したおかげで宮塚は高校生を4年やることになり、青春を同級生より1年分得(?)しました。
ということで、取り敢えずはここで一旦終わりにしときます。
蛇神さんで一本短い小説書こうと思ってるのですが、已然としてメモ帳ま真っ白のままです(笑)頑張るー。
ではでは本日はこれにて~。
みんなの卒業を機に私も中高5年間を振り返ってみると、本当に色濃い5年間だったなぁとつくづく思いました。
一生懸命で、ただひたすら突っ走ってた気がする。
自分が立ち止まっていたと思う時期すら、今は“あの頃も走ってたんだな”って思います。
あんなに熱くて、だけど無気力で、そして一生懸命な経験は、もしかしたらこの先あまり体験できないかもしれません。
辛いことだってたくさんあったけれど、だけど決してそれだけではなかった。
楽しいことだって数えきれないくらいあったし、得たものだってそれこそ抱えきれないほど。
色々な事を経験したからこそ、それが土台になって今の私があるんだと思います。
そう思うと、やっぱり感謝、かな。
文通してる友達に話したのですが、もし何年も経った時に“中高時代に戻りたいか“って訊かれたら、私は絶対にうんとは言えません。言いません。
だけどこの色濃い5年間は、きっと時々ふと思い出して、自分の中から取り出して懐かしみたくなる。そんな思い出になる気がするんです。
あんな学校なんて大っきらいだ。今でも思います。だけど、あんな学校だったけど大好きだ。それも本当の気持ちです。
今でも思い出すと辛いことも色々あります。でもそれも含めて、妙に愛しい日々だった。
今となっては、あらゆること一つ一つが大切に思えるんです。
それから一つ、後悔があるかな。
学校を辞める当時・・・・3学期の始業式だったかな、その日に3日後の日付で校長に正式に退学届を出したんです。
もう今日を限りに、この学校の生徒として制服を着て学校に来ることはない。そういう日でした。
本当はまだ3日あるのだから学校に来ても良かったし、制服を着ても良かった。
だけど私は、それを拒んだんです。
校長室を出てから、担任に訊かれました。「クラスや学年のみんなに、挨拶はどうするの?」
「しません。何も自分から言うつもりはないです」私は答えました。
積極的にクラスに関わっていくタイプではなかったし、元々授業にだってあまり出ていなかったのだから、今更自分が完全にクラスの中から消えたところで何も支障はきたさないと、そう思ったんです。
学年主任にも担任にも“お別れだけでも”と大分渋られました。だけど最後まで、私の答えはNoでした。
結局退学届を出した次の日、それぞれの担任の口から、同学年4クラス全員に私の退学と2年間の留学の話をしてもらいました。
勿論その日私は学校に行かず、留学の準備に追われてました。
仲の良い友達にはあらかじめ話はしてあったし、応援の寄せ書きなども書いてもらいました。それで満足だったんです。
だけどその日の夕方、クラスメイトや同級生何人かからメールをもらいました。
その中には在籍中色々あった合唱部の子もいました。
その時、私の中に初めて後悔が生まれました。
あれから1年以上が経ちます。ある程度の友達とはメールや手紙などでコンタクトを取っているとはいえ、完全に日本の学校を離れて色んな事に気付かされました。
一番私の中で大きかったのが、どれだか周りが私を助けてくれていたのかということ。
友達は勿論、クラスメイト、先生。
私が考えていた通り、私一人がいなくなったくらい、クラスや学年には何ということのないことだったのだと思います。
だけどみんながどれだけ私を助けてくれていたのかに気付いた時、本格的に私は後悔しました。
お礼は勿論、自分が学校を離れること、お別れの言葉さえみんなに言うのを拒みました。
クラスメイト達にだけではなく、お世話になっていた先生方にすら。
どれだけそれが浅はかな行為だったのか、今になってひどく後悔しています。
もう二度とこの気持ちを伝えるチャンスは巡ってこないし、それを詫びる術もないんだな、と思うとやりきれません。
それが、前向きにとらえられるようになった5年間の思い出のうちの、大きな後悔です。
・・・・とまぁこんな感じかな。
いっぱい色んなことがあったけれど、今となってはどれも懐かしい思い出です。
学校をやめると決め、その旨を当時お世話になっていた先生に伝えに行った時、その先生に言われたことがありました。
“この学校での5年間は、確かに宮塚さんにとって嫌な事が多かったと思う。でも、それをどうとらえ、受け止めていくかは君次第だよ。”
要は私の受け止め方一つでこれからへの姿勢も変わるんだよ、ということだったのですが、今となってはその意味が何となくわかるような。
この言葉を聞いた時は“私次第って言われても、学校を嫌いなことは変わらないと思います”ってむくれたんですけどね(苦笑)
私は色んな先生に話を聞いてもらっていた分、逆に先生から色んな話を聞かせてもらって、その中からたくさんのことを学んだ気もします。
あ、あと一つ、高1の時の担任に学校を辞める時「10年後、宮塚さんは絶対幸せになってる。そうじゃなかったら俺を刺しにきていいよ」という過激な発言をいただいたのがすごく記憶に残ってます(笑)
幸か不幸か、今現在色んな面から総合的に見て私は幸せな部類に入ると思うので、先生は8年後無事でいそうです。ちっ。
そんなこんなで、辛かった面楽しかった面、たくさんの事を併せ持って日本での学生時代は私の中にあります。
思い出せば思い出すほど、色々な人に感謝、だなぁ。
これからも中高で得た友達と末長く良い関係を築いていきたいです。
さて、センチメンタルな言葉が並んで我ながら恥ずかしいですが、ここで閉めさせてもらいます。
ここまで根気よくお付き合い頂いた方、ありがとうございました。
中高5年間の経験をふまえつつ、これからも頑張っていきます!
一生懸命で、ただひたすら突っ走ってた気がする。
自分が立ち止まっていたと思う時期すら、今は“あの頃も走ってたんだな”って思います。
あんなに熱くて、だけど無気力で、そして一生懸命な経験は、もしかしたらこの先あまり体験できないかもしれません。
辛いことだってたくさんあったけれど、だけど決してそれだけではなかった。
楽しいことだって数えきれないくらいあったし、得たものだってそれこそ抱えきれないほど。
色々な事を経験したからこそ、それが土台になって今の私があるんだと思います。
そう思うと、やっぱり感謝、かな。
文通してる友達に話したのですが、もし何年も経った時に“中高時代に戻りたいか“って訊かれたら、私は絶対にうんとは言えません。言いません。
だけどこの色濃い5年間は、きっと時々ふと思い出して、自分の中から取り出して懐かしみたくなる。そんな思い出になる気がするんです。
あんな学校なんて大っきらいだ。今でも思います。だけど、あんな学校だったけど大好きだ。それも本当の気持ちです。
今でも思い出すと辛いことも色々あります。でもそれも含めて、妙に愛しい日々だった。
今となっては、あらゆること一つ一つが大切に思えるんです。
それから一つ、後悔があるかな。
学校を辞める当時・・・・3学期の始業式だったかな、その日に3日後の日付で校長に正式に退学届を出したんです。
もう今日を限りに、この学校の生徒として制服を着て学校に来ることはない。そういう日でした。
本当はまだ3日あるのだから学校に来ても良かったし、制服を着ても良かった。
だけど私は、それを拒んだんです。
校長室を出てから、担任に訊かれました。「クラスや学年のみんなに、挨拶はどうするの?」
「しません。何も自分から言うつもりはないです」私は答えました。
積極的にクラスに関わっていくタイプではなかったし、元々授業にだってあまり出ていなかったのだから、今更自分が完全にクラスの中から消えたところで何も支障はきたさないと、そう思ったんです。
学年主任にも担任にも“お別れだけでも”と大分渋られました。だけど最後まで、私の答えはNoでした。
結局退学届を出した次の日、それぞれの担任の口から、同学年4クラス全員に私の退学と2年間の留学の話をしてもらいました。
勿論その日私は学校に行かず、留学の準備に追われてました。
仲の良い友達にはあらかじめ話はしてあったし、応援の寄せ書きなども書いてもらいました。それで満足だったんです。
だけどその日の夕方、クラスメイトや同級生何人かからメールをもらいました。
その中には在籍中色々あった合唱部の子もいました。
その時、私の中に初めて後悔が生まれました。
あれから1年以上が経ちます。ある程度の友達とはメールや手紙などでコンタクトを取っているとはいえ、完全に日本の学校を離れて色んな事に気付かされました。
一番私の中で大きかったのが、どれだか周りが私を助けてくれていたのかということ。
友達は勿論、クラスメイト、先生。
私が考えていた通り、私一人がいなくなったくらい、クラスや学年には何ということのないことだったのだと思います。
だけどみんながどれだけ私を助けてくれていたのかに気付いた時、本格的に私は後悔しました。
お礼は勿論、自分が学校を離れること、お別れの言葉さえみんなに言うのを拒みました。
クラスメイト達にだけではなく、お世話になっていた先生方にすら。
どれだけそれが浅はかな行為だったのか、今になってひどく後悔しています。
もう二度とこの気持ちを伝えるチャンスは巡ってこないし、それを詫びる術もないんだな、と思うとやりきれません。
それが、前向きにとらえられるようになった5年間の思い出のうちの、大きな後悔です。
・・・・とまぁこんな感じかな。
いっぱい色んなことがあったけれど、今となってはどれも懐かしい思い出です。
学校をやめると決め、その旨を当時お世話になっていた先生に伝えに行った時、その先生に言われたことがありました。
“この学校での5年間は、確かに宮塚さんにとって嫌な事が多かったと思う。でも、それをどうとらえ、受け止めていくかは君次第だよ。”
要は私の受け止め方一つでこれからへの姿勢も変わるんだよ、ということだったのですが、今となってはその意味が何となくわかるような。
この言葉を聞いた時は“私次第って言われても、学校を嫌いなことは変わらないと思います”ってむくれたんですけどね(苦笑)
私は色んな先生に話を聞いてもらっていた分、逆に先生から色んな話を聞かせてもらって、その中からたくさんのことを学んだ気もします。
あ、あと一つ、高1の時の担任に学校を辞める時「10年後、宮塚さんは絶対幸せになってる。そうじゃなかったら俺を刺しにきていいよ」という過激な発言をいただいたのがすごく記憶に残ってます(笑)
幸か不幸か、今現在色んな面から総合的に見て私は幸せな部類に入ると思うので、先生は8年後無事でいそうです。ちっ。
そんなこんなで、辛かった面楽しかった面、たくさんの事を併せ持って日本での学生時代は私の中にあります。
思い出せば思い出すほど、色々な人に感謝、だなぁ。
これからも中高で得た友達と末長く良い関係を築いていきたいです。
さて、センチメンタルな言葉が並んで我ながら恥ずかしいですが、ここで閉めさせてもらいます。
ここまで根気よくお付き合い頂いた方、ありがとうございました。
中高5年間の経験をふまえつつ、これからも頑張っていきます!
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プロフィール
HN:
宮塚 鏡
性別:
女性
職業:
OL
自己紹介:
へっぴり腰な、社会人3年生。
名古屋在住、岐阜勤務の環境で、ひっそり小説書いてます。
標準語は広島弁。好物はお好み焼き。
大学時代は水泳やってました。
好きなイラストレーターさんは、あきさん。
名古屋在住、岐阜勤務の環境で、ひっそり小説書いてます。
標準語は広島弁。好物はお好み焼き。
大学時代は水泳やってました。
好きなイラストレーターさんは、あきさん。
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